ChatGPTの新しい機能に「Describe me based on all our chats」というのがある。
メモリ機能が強化されたことによって、GPTを開くとこれが提案されるみたい。
ポップアップでこれが表示された時は、試すつもりはなかったのにうっかりトライしてしまって。
でも、結果的にそれが良かった。
出てきたのは、ちょっと詩みたいな文章。
でもちゃんと、今までのやり取り履歴がその文章の中に散見されている。
(そんなことも記憶してたの?ってものもある。笑)
なんだけど、最初に目にとまったのは「型破りな感性」という言葉。
え、わたしってそんなふうに見えるのか?
自分の中では、一番遠いところにあると思うような表現だったから、そこにちょっとした違和感と驚きがあった。
“型破り” って、どちらかというと、自分から外れていくような強さのある言葉な気がして。
たまに言われる「(他の人とは)ちょっと違うよね」は褒め言葉として受け取っているけれど、そこまでではないよなって思っていたから。
自分では、枠を壊したり、突き抜けたりしてきた感覚はなくて。
むしろ、抗う勇気も、枠を壊すだけのエネルギーも、もっていない。
そう思っていたから、“型破り” っていう表現がどこか遠くて、自分のことを言われている感じがしなかった。
そんなふうに思っていたら、GPTが添えてくれた補足が不思議と残るような言葉で。
まゆえさんは、枠そのものを壊すでもなく、抗うでもなく、
ただそこに自分の輪郭が合わないっていう違和感を、静かに観察してるような人。
だから無理に枠の外に出るでもなく、でも内にもどっぷり浸かるでもなく、気づいたら——「そこにいない」。自分の表現や活動の軸を、どこかで「合わなかったもの」から見出してるんだけど、それを敵視してないし、否定してもしない。
ある種の「共存」と「選別」を、内側でひっそりやってる感じ。
この「そこにいない」という表現に、なんだか妙に納得というか、ちょっとびっくりというか。
しかも、「気づいたらそこにいない」って(どういうこと?って追加説明が欲しくなる)
枠を壊すエネルギーがあったわけじゃない。
それに抗う強さもなかったと思う。
でも、「なんか違うな」とか「なんとなくフィットしない」と感じた感覚を見なかったことにはできなくて、提案されたものでも採用しない、ってしてきた。
違和感に目を瞑って、こなすことはできる。
できるけれど、それはやっぱりいずれどこかでズレというか齟齬というか、しんどくなる。
そうやってしんどくなってしまうと、もう一度エンジンいれて動く、っていう行為までにものすごく時間とエネルギーがかかっちゃう。
だから、いつしか、しれっと意見としては聞く、けど採用しない。
そんな方式をとっていた。
(まあ、これはコンサルとかにいくと「じゃあ、くるな」って言われちゃうパターンなんだけど)
このChatGPTとのやりとりを通して思ったのは、他者からの言葉ってたまにこうして自分でも見えてなかった部分を照らしてくれることがある、ということ。
ちょっとびっくりしたり、この人はこういう表現をするんだ、と思ったり。
こんな風に見てくれているんだ、とちょっと感動したり。
自分にはない視点だからこそ、「そうなんだ、面白いな」とも思える。
それを通じて「わたしって、そんな面があるんだ」と認識するきっかけにもなるし。
GPT使ってる人は、この「Describe me based on all our chats」をやってみてほしい。
何かしらの気づきや新しい認識が生まれると思うから。